世界は称賛に値する

日記を書きます

懸命な叫びを聞いて

 さまざまな人間がさまざまな人生を歩んでいる、わけだから、人生に必要なものもさまざまなのだろう、とは思う。だから、短絡的に『人生にはこれが必要だ』なんて言うことはできないのだろうな、とも思う。たとえ私が『人生にはこれが絶対に必要だ』なんて心の底から切実に思ったものがあったとしても、私とまったく違う感性を持って『人生』を歩んでいる人がいたならば、その人には『無駄の極みだ』とすら言えるようなものなのかもしれないからだ。だけど、心の底から『これが必要なのだ』と感じたものを、その身を削るようにして切実に教えている素敵な人を眺めていて、ああいう信念に支えられた懸命な叫びを聞くことが無駄になってしまうことなんて本当にあるんだろうか、とふと思ったのだった。もし『これが必要だ』と叫ばれているものが『自分にとって不必要なもの』であったとしても、その人生を懸けた叫びを聞くことそのものが、何らかの『素晴らしきもの』を自分の人生に訪れさせてくれるのではないだろうか、と感じたのだ。そして、おそらく最後に私たちができるのはそれくらいのことだけなんだろうな、と思ったのだ。