優しさが好きだから

 間違いなく私は『優しさ』が大好きだ。大好きだと思えている。大好きだと思える人生を歩んでしまっている。だから、優しさという概念を素敵なものだと思っている、し、優しさという概念を刺激してくれるものを、言い換えれば、優しさのイデアに近似したものを、つまりは『優しさ』というものを、素敵なものだと思うことができている。なんていうことを考えていて思った。要するに、私の歩んできた人生から『優しさ』を批難するのは難しいのだ、と。そして、それゆえに『優しさ』に裏打ちされた行為を蔑視するのも難しいのだ、と。批難されがちな『頑張れ』を私が時おり弁護したくなってしまうのは、頑張れという言葉は大好きな『優しさ』に裏打ちされた素敵な言葉だ、とか考えてしまっているからなのだと思う。そして、大好きな『優しさ』に裏打ちされた素敵な言葉なのに曲解されて侮辱されているようだ、なんて感じられてしまっているからなのだと思う。