世界は称賛に値する

日記を書きます

趣味には寛容であっても生き方には寛容じゃない

 趣味と言われる領域での選択ならば、他人の選んでいるものに、あっさり『駄目だ』と言ってしまうことは、少ないように思える。真剣に思考している人ならばおそらく、駄目だ、と安直に判断してしまうこと自体あまりないだろう、と想像できる。が、生き方と呼ばれる領域になると、趣味の問題ほど自由が許されていない印象があるよな、ということを考えていたのだった。趣味には物凄く寛容な人でも、生き方においては、これは駄目だな、とあっさり思ってしまうような印象があるからだ。無論それを発言するかどうかは別の問題だ。単に、趣味に対しては『これが正しい趣味だ』なんていう基準を持つことに疑問を感じてしまう人でも、生き方に対しては『これが正しい生き方なのだ』という基準を持ってしまっていたりする、のではないか、という疑問を覚えてしまったのだった。というところから、だとするなら本当に『正しい生き方』なんてものがあるのだろうか、ということを考えてしまったのだった。迷惑かけるかどうか、が境界線なのかなあ、と思う。