世界は称賛に値する

日記を書きます

うまい生き方

 生きること、において、うまくない選択肢を選んでしまっている人がいるように思えてしまう、し、うまくない選択肢を選んでしまっている人がいるように見えてしまう。強調表現を行うならば、悪い生き方を選んでいる人がいるように思う、と言ってしまってもいい。良い生き方とは何か、などという問いは無論死ぬほどの難題だ。考慮しなければならないことが多々あるからだ。同時に、自分が何を感じているかによってまるっきり違う解答が必要とされてしまうからだ。間違いなく、簡単に正解まで辿り着けるような問い、ではない。にもかかわらず、これは良い生き方ではない、なんて考えてしまうことが時おりあるのは、おそらく、現状の私が『経験から考慮できているもの』と、現状の私が個人的に感じている『人生に対する印象と感覚』が、私に『これが良い生き方なんだな』と感じられるものを提示してくれているからなんだろう、と思う。そして私は、その『自分なりの良い生き方』を基準にして、ほかの人間の選んでいる『生き方』を評価したり批評したりしてしまっているわけだ。思い上がりが過ぎるぞ、と思った。自戒を思う。実際的で実践的な『良き生き方』を考えるなら、効率の良いか、と、自分が楽しめるか、というあたりが鍵なのかな、と最近は考えている。漠然とした表現であり、少し曖昧が過ぎるか、とは思う。が、逆にその分、誰もが納得できるような答えに繋げられるのではないか、とも思うのだ。深夜に友人ミヤ氏と自宅で少し酒を飲んだ。近況と愚痴を聞いていた。聞きながら考えていたのは、まさに『悪い生き方を送っている人がいるようだ』ということについてだった。そして、私は本当にそれを『悪い生き方』だと心底から納得し、一縷の躊躇も覚えることなく糾弾することができるのだろうか、ということについてだった。