世界は釣りのようなものだ

 釣竿をたらして魚がかかるのを待っている。というような光景を比喩にして『世界』について考えていた。世界という名の釣堀は、無限だと思えるくらい広く、深く、どれほどの魚が泳いでいるのか見当もつかないくらいだった。ただ、時おり近づいてくる魚の群れがあったりはして、さまざまな色合いを観察することはできた。怖ろしくいろいろな種類の、眩暈がするほど色とりどりの、魚、を観察するのは、おもしろかった。心躍ることすらあった。ごく稀に、群れから魚を釣り上げることもできた。釣り上げた魚は、先達の遺した知識、と、おのれの今までの経験、を総動員して、名付けたり、解剖したり、調理したりしてみた。結果として得られた情報はできるだけ書き残しておく。それがまた『先達が遺した知識』になるかもしれないからだ。網でも扱えるほどの力があれば、群れを一網打尽にすることもできるのにな、なんて思うこともあった。が、現状の自分ではこれくらいが精一杯だろう、と思う。しかたがない。できるだけ巨大な魚を狙ったりしてみせることで、網を扱えるくらいの力を獲得してみせよう、なんて夢想する。いつか『出会ってきた魚をまとめた完璧な図鑑』を完成させてみたい、とは思う、が、まだまだ足らないよなあ、とも思う。今は少しずつでいいからいろんな種類の魚を見つけていく時期なのだ、と思ったのだった。だから、いつか書き記す図鑑のために、釣り上げることのできた魚について、重要かつ簡潔なメモを取り続けている。この文章がそれなのだろう、と思った。