言葉の二つの機能

 すっかり雪はやんでいた。太陽の輝きが凍りついた路面を照らし出していた。出勤時刻は午後2時だった。自転車で行くかどうか悩んでしまう。道路の状態を考えると危険かもしれない、と思えたからだ。まあなんとかなるだろう、と結論する。なんとかなった、と言っていいだろう。雪はやんでしまったものの、寒さに変化はないようだった。いつも通り、寒さが精神に与える影響、のほうは、できる限り受け流してしまうよう努める。人間の『同時にいくつものことを考えることはできない』という特性を利用して、気にかけてしまいがちな事象を『気にしないようにする』ことは可能だ、と認識しているからだ。そして、気にしないようにすることで『影響を減少させること』が可能だ、と判断しているからだ。勤務を終えて事務所で一人まったりしていた。最近の趣味だ、なんて言える。静かに思考を巡らせているのが楽しいからだ。なんて遊んでいたら、職場に財布と携帯電話を忘れて帰ってしまった。途中で気づいて取りに戻る。帰り際に森博嗣『森博嗣の浮遊研究室5 望郷編』と山田ズーニー『おとなの小論文教室』を購入。帰宅後は『世界をよくする現代思想入門』を読んでいた。言葉の機能を、伝達の手段、と、認識の手段、に二つに分けて考えているところ、を読み返していた。伝達の手段としての機能を温存しようとすれば、状況は『制度の専制』状態になってしまい、認識機能が束縛されてしまうし、認識の手段としての機能を追求すれば、状況は『制度の主人』状態になってしまって、伝達機能が崩壊を起こしかねない、というようなことが描かれていた。その問題を解決するのが『脱構築』なのである、と続く。言語の持つその二つの機能をうまく一つにまとめてしまうような捉え方はないものかなあ、と考えていた。ので、脱構築について考えていた。