世界は称賛に値する

日記を書きます

発言は、何を求めるか、を一致させてから

 相手の心にきちんと言葉を届けるためには、目指すところ、が一致していないと駄目なのだろうな、というようなことを考えていた。目的意識が同調していないとどんな言葉も無駄になってしまうのだろう、なんてことを考えていたのだった。シンプルに言い換えるならば、違う価値観からの意見なんてどんなものでも空回りしてしまうだけだよなあ、ということを考えていたのだった。というような思考を経由しつつ、感情的な言葉のほうが相手に届きやすいのはそのおかげなんだろうな、というあたりに思索を巡らせてみた。感情的な言葉は比較的同調させやすいのではないか、と思ったからだ。であるがゆえに相手の心にわりと届きやすいのではないか、と思えたからだ。なぜ『同調させやすそうだ』と思ったのか。感情的な意見は抽象的な意見になりがちだ、ということに気づいたから、なのだと思う。そして、感情的意見の持つ『抽象性が持ちえる大雑把さ』が、比較的あっさりと『同調した雰囲気』を演出してくれるのではないか、なんて推測してみたから、なのだと思う。対話が必要な場面で私が『感情的な言葉』から入ることを好むのは、たぶんそういった経験を積んで学んできたからなんだろうな、なんてことを最後に考えていた。