雪が好き、白が好き

 目を覚ませば雪景色だった。雪は好きだ。と言うときの私の気持ちは、たぶん、白が好きだ、と言うときの気持ちに酷似しているのだろう、なんて考えていた。雪景色を眺めながら、私は雪が好きなんじゃなくて、この綺麗な白い世界が好きなんだよな、というようなことを思ってしまったからだ。仕事は休みだった。強運だったなあ、と一瞬考える。無論、運が良かった、という意味だ。雪の中を出かける羽目にならなくて良かった、と認識したからこそ出力できた言葉だな、と考える。だが、状況を、雪の中出かけずに済んだけど誰かが代わりに出勤して苦労している、と捉えるなら、強運だった、なんてことは言えなくなるな、と思う。人間が感じることなんてそんなものだ、と思った。世界を見つめる範囲。世界を切り取る範囲、世界を解釈する範囲――つまりは、世界をどれくらい心に響かせるのか。その恣意性からは逃れられない、と思う。が、だからといって、操作不可能というわけでもないようだ、とは以前から考えている。物事から幸せを感じるか不幸を感じるか、わりと自分で決められるものだ、と考えているわけだ。いろいろな解釈方法を適宜活用することで、最も心地良い解釈を出力してみせるぜ、などという無謀な決意と覚悟を支えてくれているものは、おそらくそういった思考なのだろうな、なんて考えていた。