もしも知性をパソコンに喩えるなら

 たとえば知的能力をパソコンに喩えるなら、私はたぶんメモリがあまり多くないのだろうな、という自己認識を持っている。同時にウインドウを開きすぎると大変すぎて対応しきれなくなるようだ、という雰囲気を感じるからだ。単純に、込み入ったことを考えると混乱する、と言ってもいい。というような環境に対応すべく、ワープロよりもエディタを選ぶように、思考に関しても、機能を削ぎ落として、シンプルな形にしようとする傾向があったりもする。なるたけシンプルに考えるととりあえずこう考えられるようだ、という思考を複数回積み重ねることによって、複雑なものを理解しようとするわけだ。