運命が本当にあるのなら、あってくれてもかまわない

 順調な状態だった。風邪は快方に向かいつつあった。ものもらいも治りつつあった。風邪もものもらいも発現が同じ日だったことを思い返す。おそらく一度身体が急激に衰弱した日があったのだろう、と推測している。思い返してみれば、確かに、気温が物凄く低下した日があった。おそらくその急速な温度変化に身体が対応しきれなかったのだろう、と思っている。出勤は午前2時。新規店舗の開店準備が本格化を開始した。駅前で告知活動を行っていた。以前に別の店舗をリニューアルしたときのことを思い出す。同じようなことを数年前にしたことがあったのだ。経験を積んだことがあったからか、緊張に近しい感覚はまったく感じなかった。普段しないことをするのは新鮮で楽しいな、と考える人格がいつも通り活動を始めていただけだった。わくわくしていた、わけだ。帰宅後、以前から観ようと思っていた『いま、会いにゆきます』を観る。決定的な悲哀や絶望を胸に抱えながら、しかし、そんな気配は感じさせず、大切な人のために、毅然とした姿で何かを残そうとする、というような懸命な姿が、私は昔から好きだ。憧れている。というか、泣きそうになってしまう。実際に涙をこぼしたりはしなかった。が、この映画が巷で称賛されている理由は十分理解できた。比翼の鳥、という言葉を連想する。運命の相手、という概念を、私は、わりと否定的に見ている。いわゆる『運命』を否定的に見ているからだ。けれど、もし本当に『運命』というものがあって、幸せになる出会いや道のりが決まっているというのなら――誰もが『運命』に定められた通り『幸せになってしまう』ような世界があるのならば、きっとそれも悪い世界ではないよな、なんて考えることができた。そう考えることができるような『運命の出会い』がここに描かれている、と思えたのだ。