かつての日記に敗北を覚える

 最近考えていたのは、これとこれは似ている、ということを発見する能力こそが人間の持つ知性の本質なのではないか、というようなことだった。が、ふと以前に書いた日記を読み返していたら、ほぼ同じことが同じように書いてあった。結局俺はまた同じところ辿り着いただけなのか、と思った。もし『似ている』のだとしても実際には違うものなんだからむしろ流されないよう気をつけろ、という注釈も書いてあった。かつての自分に敗北した気分を味わった。出勤は午後4時。改装を終えた事務所に初めて入る。新鮮な気配は気持ちの良いものだった。楽しかった。慣れないことをするのは楽しいものだよな、と思う。そこに明確な危険が待っていないのならばなおさらだ。軽くて持ち歩きやすい、という理由で持ち歩くことの多かった長嶋有氏の『猛スピードで母は』を、帰宅してから読み終える。大人と子供。父親と子供。母親と子供。題材はそのあたりの関係の中にあるようだった。そのあたりの関係の中にある、普段私たちが意識しないにもかかわらず、しかし確実に存在しているもの、を、物語の性質を利用することで描き出そうとしている、という風に感じられた。こういった小説を読み取るとき、私には、そういう方向に感性と思考を向かわせる癖がある。的確かどうかは微妙なところだ、とは思っている。