猛スピードで母は(長嶋有)P.133

猛スピードで母は (文春文庫)

猛スピードで母は (文春文庫)

《75点》

 その直後に自分は置き去りにされたのだとひらめいた。もちろん母は書き置きを残すような真似はしないはずだ。
 そう考えた途端に、ずっとぐずぐず出つづけていた涙がぴたりと止まってしまった。冷蔵庫のモーター音が不意に止んだ瞬間のような、静かな時間が流れた。
 立ち上がるともう一度窓の外をみた。もうトドは鳴かない。慎はこれまでに感じたことのない妙な気持ちになった。妙と思うのはそれが安心な気持ちだったからだ。それまでの暗く悲しい想像や考えはどこかにいってしまった。