だとするなら『これ』とやらは何者なのか

 我々は『A』との間に『ともすれば同じだと言えるくらいの近似』を感じたものをAと呼ぶのではないか、と考えてみたわけだ。というところからさらに考えてみる。だとするなら『これは『これ』に似ているようだ』と考えるときの『これ』というやつは一体どこにあるだろうか。思いついた答えはこうだ――おそらく経験の中にあるのだろう。正確に言うなら、経験が私に想起させるようになったもの、の中にあるのだ。そして、もしもその『経験が育んだ想起』を、理想的かつ究極的な概念、として捉えようとするならば、それはいわゆる『イデア論』に近づいていくのだと思うし、言語規則の理解と実践、あたりに捉えようとするなら、それはいわゆる『言語ゲーム論』に近づいていくのだと思う。