これに似ているから『これ』と名付けよう

 たとえば、いわゆる『小説家』と呼ばれる人たちは、それぞれ違う人間で、それぞれ違う人格で、それぞれ違う人生を生きているはずだろう。同じ『小説家』同士なんだから君と僕の人生はそっくり同じだ、なんてことはありえないはずだ、と思える。だが、それでも同じ『小説家』なのだから確実に似ているところがあるはずだ、とも思う。というかむしろ我々は、その近似性を見つめて『小説家』という名前を貼り付けたのではないか、と考えたのだった。つまり『名付ける』という行為は『これはこれに似ているぜ』と書かれたラベルを貼り付ける行為なのではないか、なんて考えてみたわけである。例を挙げるなら、ある人間は『小説家』に似ているから小説家というラベルを貼り付けられ、ある人間は『ビジネスマン』に似ているからビジネスマンというラベルを貼り付けられ、ある発音は『歌』に似ているから歌というラベルを貼り付けられ、ある存在は『犬』に似ているから犬というラベルを貼り付けられ、ある存在は『悪魔』に似ているから悪魔というラベルを貼り付けられ、ある状態は『竜頭蛇尾』に似ているから竜頭蛇尾というラベルを貼り付けられ、ある事態は『空前絶後』に近似しているから空前絶後というラベルを貼り付けられ、ある姿は『麗しい』に近似しているから麗しいというラベルを貼り付けられ、ある感情は『嬉しい』に似ているから嬉しいというラベルを貼り付けられ、ある状況は『希望がある』に似ているから希望があるというラベルを貼り付けられ、ある歓喜は『称賛に値する』に似ているから称賛に値するというラベルを貼り付けられる、と考えてみたわけだ。