論理は素敵な武器だ

 論理が好きだ。だからむしろ『謝っておかねば』とか思ってしまう。というようなことについて考えていた。賢いこと、が私はとても好きだから、賢く見えるもの、も私はかなり好きだ。たいした理解もできていないくせに、まわりの雰囲気に流されて惹かれてしまう、ということさえあったりする。つまり、よくわからないが賢そうだ、という雰囲気だけで肯定してしまうことがあるのである。かつての私は論理というものを、そういった浅薄な好意だけで称賛していたのだと思う。だから不意に『謝っておかねば』なんて思ってしまったのだった。かつてよりは『論理』の素晴らしさを理解したからだろう。最近の私は『論理』というものを、武器のようなものだろう、なんて考えたりしている。さまざまな人間の知性によって錬磨されてきた、強靭かつ精緻な刃を持つすげえ聖剣だ、みたいなことを想像しているのである。そして、そこに価値を見ている。素晴らしい武器を鍛え上げ遺してくれた壮絶な知性に敬意と称賛を覚え、心からの感謝を抱いている、からだ。