世界は称賛に値する

日記を書きます

なぜ断言してしまうのか

 最近、物事の道理、みたいなものを不意に理解することができて、かつて『賢いな』と思っていたあの人たちはつまりこういう道理を前提にして文章を書いていたんだな、とか思うことが多い。たとえば私は、賢そうな人が解釈をなぜ真理のように断言してしまうのか、という疑問をずっと抱えていた。だからそれを嫌って私の文章には『と思う』系統の言葉がかなり多かったりもする。のだけど、彼らには『解釈に過ぎないのは自明のことだからシンプルな断言調で書いちゃうぜ』という共通認識があるのか、という納得に、最近になってようやく至ることができたのだった。だけどそんなのやっぱり人によって違うのかもなあ、とも思う。ので、逐一ちゃんと見極めていこうか、と考えたりしていた。