きちんと読書、きちんと鑑賞

 いいかげん本気で人生をコントロールしていこう、というような決意を、年越しに合わせて改めて固めてみよう、なんて思っていたわけではない。が、心のどこかでそんなことを考えていたらしかった。怠惰に負けず『やろうと思うこと』を追求していく、というような志向が、最近の行動の裏にあるようだ、ということが、自分の行動を観察していたらわかった。読書をしよう、映画を観よう、と改めて考える。決意する。なので、その欲求に従って、石原千秋著『国語教科書の思想』を読んでいた。読み終える。文学というものがようやく把握できたかも、と思えた。以前に読んだ書物で得た文学系の知識と、この書物の中で行われていた文学的な実践を組み合わせていたら、おそらくこれが『文学』というやつなのだろう、という境地が突然啓けたのだった。文学ってのはつまり解釈学だったのか、ということが理解できたからだろう、と思う。というか著者はそんなこと考えてなかったんじゃないのか、という疑惑の『どうしようもなさ』が、私が『文学』というものを理解できなかった大きな要因だったのだ。が、今回の読書経験によって、その不可解が解消されたのだった。それくらいのことは前提にしていて、覚悟も決めていて、その上で文学はやれることをやっているのだ、ということが、石原千秋氏の文章を読んでいたらわかったのだ。書物が持つ目的とはいまいち違ったところでの天啓だった、とは言える。