世界は称賛に値する

日記を書きます

まだだいじょうぶ、と言われて思考停止してしまうような無様

 まだまだ若僧なんだからこれからだ、というようなことを考えることはわりと多い。だがそれが、ただの慰めであること、を、忘れてはならないな、と自戒混じりに思う。これまで観察してきた結果、人間は『お前は駄目だ』と言われることに極端に弱いようだ、と判断している。否定されると結構簡単にダメージを喰らってしまうのだ。だから大抵の人間は、そのダメージを軽減するために、何とかして自分の現状を正当化しようとする。たとえば、評価基準を捻じ曲げて評価を無効化しようとしたり、可能性論を持ち出して評価を保留しようとしたり、するわけだ。若僧なんだからこれからだ、なんて言葉はだから虚偽だ、とか考えているわけではない。確かに『若僧』であり『これから』なのだろう、とは思う。一面的な事実ではあるだろう、と思う。が、その言葉を発語する目的が、事実の確認、ではなく、自己正当化をしておのれの心を安心させるため、にあるのなら、その行動はいまいち推奨できないな、と思ってしまったのだ。思考停止をおびき寄せてしまいそうだからだ。と同時に、思考停止が嫌いだからだ。なぜ思考停止が嫌いなのか。私が目指す『輝かしい人生』のためには、研ぎ澄まされた思考も必要だ、と想像しているからだ。