世界は称賛に値する

日記を書きます

接客をいなすのには慣れた

 帰宅する。午前6時半を過ぎていた。ネコ邸で深夜にモンスターハンターをやっていたからだ。新しいスーツを買いに行こう、と考えていた。のだけど、朝まで遊んじゃうと少し微妙だな、と思う。活動開始が遅れるからだ。実際、動き始めたのは午後5時をいくらか過ぎた頃になってからだった。近場のマルイへ向かう。まずどんなものか確認してみよう、という意図があった。眺めているうちに、いいかも、と思えるものを見つけた。候補として記憶しておく。マルイの濃い接客には多少慣れたな、と思う。正確には、接客業をこなしているから別の視線で眺められるようになった、と言うべきだろう。接客が巧い人には単純に好感を覚えられるようになったのである。おかげで抵抗感が減少したというわけだ。この人接客うまいな、と瞬時に感じた人がいて、話を聞いていた。当然ながらかなり薦められてしまった。試着してみて、いろいろと見てみたけれど、デザインは好きだし決めてしまっていいかな、と思うことができた。押しが強すぎるかな、と感じるところもあったけれど、まあいいか、と思うこともできた。というくらいには接客が巧かったように思う。だから買おうと思えた、なんて言ってしまっても間違いではあるまい。裾を調整する時間を使って、紀伊国屋に足を運んでみた。ひさしぶりに秋田禎信氏の文章が読みたいな、なんて思って、勢いで最新作の『愛と哀しみのエスパーマン』を買ってしまう。小説家『秋田禎信』氏と『森博嗣』氏に対する敬意や好意は時間がたっても減退する気配がないよな、とふと思う。なんで好きなんだろう、と疑問に思ったことはあった。好きなのかどうか疑ったことはあった。だが、確かに昔は好きだったけど、今はもう乗り越えてしまったな、と思えたことはなかった。ほかの『好きだったもの』に対してはそう感じることが多いのになぜこれらには感じないんだろう、と考える。要するに、いまだに乗り越えられない高い壁だ、ってだけのことなんじゃないか、と思う。強敵だなあ、と思った。