哲学は多種多様な選択肢を与えてくれる

 哲学は、なぜなのか、と問う。問いこそが哲学である、というようなことも多くの人に言われてきたようだ。本質を捉えた解釈だと私も思う。問いなき哲学は存在しないだろうな、と確かに思えるからだ。哲学は当然ながら『問われない日常』も問う。だから、哲学と『誠実に』向かい合った人間は、応用力を持ちうるはずではないか、と考えている。哲学によって『日常的行為の目的』を理解した人間は『日常に流されることで選択される行為』以外の行為を選ぶことで『日常的行為の目的』を達成することができるはずだ、と信じているからだ。たとえば日常は、こうすれば優しくしたことになるよ、という行為を教えてくれる。そして、それを繰り返しているだけでも、優しくしたこと、には、それなりになりうるだろう。けれど、哲学は、なぜそれが優しくしたことになるのか、なぜ優しくしなければならないのか、そもそも優しさとは何なのか、と問うてくれる。そして、その問いかけに誠実に答えてみせることによって、私たちは『優しくすること』の目的を知ることができる。目的を知っていれば、当然、応用が利くようになるだろう。目的をきちんと理解している人間は、多彩な代替手段を選ぶことができるようになるからだ。私が『哲学』に魅力を感じている理由の一つはそれだ。視野狭窄を砕いていくことによっておのれの人生に多種多様な選択肢が増えていく。それは嬉しいことだ、と思っているのだ。