世界は称賛に値する

日記を書きます

きちんと相手が何を考えているか考えてから考える

 こう見えるのだがあなたはどう捉えているのか知りたい、という問いに対して、こう見えるなんておかしいんじゃないか、という答えが返される。というような対話状況を少し眺めていた。微妙な対話だよなあ、と思う。卑怯、というのとはちょっと違うが、誠実ではないかな、という印象を受けてしまった。相手の解釈を退けようとするなら、まずは相手の思考プロセスを追ってから、あなたはきっとこう考えたのだろうが、私にはこういう背景があるから、ここではこう考えてしまう、と言うしかないのだ、というような形で私が対話を理解しているからだろう。相手の思考プロセスに斟酌することなく、そんな結論はおかしい、なんて結論に対する感想だけを述べたり、そもそも私にはこんな思想的背景があるんだよ、なんて独白を始めたりしても、あまり『良い対話』には繋がらないのではないか、と感じているわけだ。では『良い対話』とは何か、には、考える余地があるか。