世界は称賛に値する

日記を書きます

嗤われる言葉

 熱心に語ること、を、嘲笑せねばならなくなるような価値観も存在するんだよなあ、と溜息をつく。真剣に言葉を紡ごうとする行為そのものが、時には、揶揄の対象になってしまったりするんだよな、と考えさせられたのだった。無論、それを理解していなかったわけではない、し、それを経験したことがなかったわけでもない。ただ、改めて観察してみたことで、やはりあまり素敵な行動背景とは思えないな、と感じさせられたのだった。おそらく私の人生にそれだけ『真剣に語ることに素敵を感じる経験』が多かった、ということなのだろう。つまり、好きなものが馬鹿にされたようで悔しかったのだ。