世界は称賛に値する

日記を書きます

同じ背景があることを前提にした言葉が好きではない

 責任とか義務とかいう言葉があまり好きではない。そんなものに従う気になれない、などという陳腐な話ではない。むしろ素敵な概念だと思っている。にもかかわらず、好きではない、なんてあえて言ってしまうのは、それに頼りきった言説にいまいち説得力が感じられないからだ。責任や義務などというものはおそらく、それを信じる者にしか有効ではない、と私は考えている。つまり、責任や義務などというものは、それらに対して同じように価値を感じる者にしか有効ではない、と考えているわけだ。どうでもいい、なんて心から思われてしまったら、あっさり敗北を喫してしまうものなのだ、と思う。ゆえに、そういったものに依存しきった言説には、どうしても脆さや弱さを感じてしまうのである。