世界は称賛に値する

日記を書きます

読書家がそばにいる

 帰ってきて電気ストーブをつけながら、さすがにかなり寒くなったなあ、と考える。冬を嫌いだと思ったことはない。憎悪も嫌悪も感じたことがない。なんて考えてみると、嫌いというのは憎悪や嫌悪だけを意味するものではないんだな、と考えさせられる。違和感が感じられると思ってしまうからだ。そして、憎悪でも嫌悪でもない『嫌い』ならば、冬に対して、あるいは感じたことがあるかもしれない、と思ったのだった。強いて冬の『苦手なところ』を挙げるなら、蒲団から出にくくなるところだろうか、なんて考える。怠惰な自分、を認識するのが嫌いだからだ。蒲団から出るのツライな、とか思っている自分を発見してしまうと、確実に、怠惰な自分、を認識させられてしまう、わけだ。責任問題を問うなら無論、私の弱さに責任があるのだ、と考えてはいる。午前9時出勤だった。昔から読書が好きだ。好きだからたくさんの本を読んできた。けれど、まわりにはあまり読書を好む人がいなかった。誰かが好きだと言ってくれるものに触れてみて『好きだと思える領域』を拡げていこう、という趣向が私の人生にはある、だから、同好の友人があまりいない、ということに対しては、昔からつまらなさを感じていた。なんて考えてみて、不意に思いついた。よく考えたらその役割を今まさにインターネットが担ってくれてるんじゃないのか、と思ったのだった。書評を読んで、おもしろそうだ、と購入してみた、という経験は数多くある。ならば、結構幸せだと言えるんじゃないのか、と考えたわけだ。