みかんとみかん

 眼前に二つの『みかん』があるとしよう。みかん、という言葉があるがゆえに、それらはどちらも『みかん』だと思ったりしてしまうけれど、でも、実際のところ、それらは別の存在なのだ。たとえば左側のみかんが美味しかったからといって、右側のみかんが美味しくないとは限らない、わけだ。別の存在なのだから、そんなのは当然のことだろう。だけど、みかん、という言葉にもし縛られていると、変だな、とか愚かにも思ってしまうことがあるのだ、と思う。たとえば、いじめ、とか、死、とか、が、特に勘違いされやすい言葉のように思える。以前、もっと個を見ようぜ、と語っていた人がいたので、その影響をかなり受けている。その言葉でおのれの視野の狭さに気づいて後悔したからだ。