世界は称賛に値する

日記を書きます

再会

 福島で働く友人が先輩の結婚式のために帰省する、と聞いて、時間あるならみんなで集まって飲もうぜ、と誘ってみたのだった。新橋駅に集合する。午後10時待ち合わせ。遅刻してしまった。参加者は当然集合を終えていた。カズ氏タマゴ氏ギン氏。詫びにマックシェイクなんぞを奢ってみた。雑談。しているうちに、結婚式を終えたナベ氏から電話がかかってきて合流を果たす。驚いた。もっと遅い時間に合流するのではないか、と思っていたからだ。飲み屋を求めて『つぼ八』へと移動を開始する。飲みながら近況報告なんかを聞いていた。ひさしぶりに会える、というのはおおむね嬉しいものだ、とふと思う。会えなくなる、というのはわりと、失われる、ということと同義のようなところがある、から、ひさしぶりに会える、と、失わずに済んだ、というような安堵を感じることができるのだろう、と想像する。隣席が騒がしかった。そのせいで、ちょっと移動しようか、という話になる。飲み屋を出たあと周囲を少し散策して、カラオケ館への移動を決めた。なぜか『6ニムト』なんかをやりながら、始発までの時間を過ごす。無念なことに少し眠ってしまった。申し訳ない、と思う。カラオケはBGVと化していた。午前5時を過ぎて帰宅準備を開始。午前6時の新幹線で帰る、とナベ氏からは聞いていた。新橋駅へ向かう。新橋駅前でバイク出動のカズ氏と別れ、逆方向に住むギン氏やタマゴ氏とは新橋駅の構内で別れ、京浜東北線に乗ったあとは東京駅でナベ氏と別れる。独りで電車の席にもたれながら、不意に少し笑ってしまった。みんなそれぞれの道を歩み出してるよなあ、なんてことをふと考えてしまったからだ。同じ冬の空の下で「じゃあな」と別れ、五人それぞれがおのれの歩むべき道を選んで、それぞれの目指すところへ向かって歩んでいく、というような光景に、なんとなく比喩じみたものを感じてしまったのだ。確かにかつてのようにみんなで一緒に同じ毎日を過ごすことはできなくなってしまったのかもしれない。確かにあの頃のようにみんなでわいわい騒ぎながら道を進んでいくことはできなくなってしまったのかもしれない。いつしかみんな違う道を歩んでいくようになってしまった。けれど、こんな風にたまにそれが交錯してくれるなら、それも決して悪いもんじゃないよな、なんてことを思ってしまったのだった。と同時に、アイツラには負けてられないし、アイツラに恥じるような生き方はしたくないもんだ、というようなことを考えてしまったのだった。そういったことを考えられる楽しさに、笑わずにはいられなかったのだと思う。お疲れ。