引き受けて乗り越える

 いじめは駄目だ、という論を見ることは少なくない。その『いじめは駄目だ』という論を引き受けて、たとえ『いじめは駄目だ』なんて言ってみたところで決していじめはなくならないだろう、と語る論を見かけることもある。その『いじめはなくならない』という論を引き受けて、もし『いじめはなくならない』のだとしても何らかの対策を練ることはできるはずだ、と語る論を見かけることだってある。ということを思いついて、ある視点や主張を前提として引き受けることで、新たな視点や主張を生み出すことができる、ということについて考えていた。語る技術の話だ、と言えるだろう。いわゆる『メタ化』というやつだ。この技術をうまく応用していくことで、おそらく、わりと新鮮な主張を続けることができるのではないか、と考える。無論、難度は上がっていく。だから、きちんとそれを乗り越えることができれば、という制限はついてしまう。たとえば、いじめ論の例で言うなら、もし『いじめはなくならない』のだとしても何らかの対策を練ることはできるはずだ、という論を引き受けた主張はあまり見かけないように思える。つまり、もし『いじめはなくならない』のだとしても何らかの対策を練ることはできるはずだ、をという論を対象にした視点や主張を見かけた記憶があまりないのだ。きっとそのあたりから難度が極端に高くなってしまっているのだろうな、と想像する。なんか言ってみようかな、と軽薄に思ったりもした。のだけど、やはり難しいな、と考えさせられてしまった。やはりもうあっさりとは解剖できない次元なんだなあ、と考えさせられてしまったのだった。