世界は称賛に値する

日記を書きます

人間には「こうしよう」と決める意思があるだけだ

 厳密に言うならば人生に『目指すべき目標』などないはずだ、と考える。無論、おのおのが『目指そうと定めた目標』ならば存在するだろう。が、それは、正確に言えば『目指したい目標』とでも呼ぶべきものであって、決して『目指すべき目標』などと呼べるような代物ではない。そして、もし『人生に目指すべき目標など存在しない』のならば、目標と現状のギャップを認識して修正を加えていく、という思考形式を『人生』に適用することはできなくなってしまうのではないか、と考えてしまったのだった。目標と現実の差を認識して修正していく、という思考形式を、人生という強敵と戦うための武器として、かなり盲目的に利用してしまっていたことに気がついて、考え直してみたわけだ。実際のところ私は、人生における目標というものを、勝手に定めてしまっている。だから、目標と現状のギャップを認識して埋めていく、という手法を、人生を歩んでいくための有用な武器として適用できたつもりになっていたりもする。のだけど、人生という強敵と戦う武器として、その思考形式は本当に有効なものなのだろうか、なんて考えてみたのだった。