世界は称賛に値する

日記を書きます

チョコレートケーキ

 大切に思えるもの。大切に思えること。大切だと思える気持ち。きっとそういったものが結局は人生を輝かせてくれるものなんだろうな、と考えていた。そして、突き詰めるならつまりそれが『愛』ってことなんだろうなあ、なんてことを考えていた。愛は世界を救うすべてです、なんて言葉はありふれていて、そのせいでなんだか物凄く陳腐化されてしまってもいて、みんなそのことをあまり真剣に考えなくなっているようにも思えるのだけど、でも、人生って楽しいぜ、とか、人生が大好きだ、とか、人生は素晴らしいよな、という風に、人生を肯定する方向でにこやかに笑おうとするなら、やっぱり、愛は世界を救う、というような言葉を決して侮ってはならないのではないか、なんてことを考えていたのだった。つまり最近の私は、あんまり愛を甘く見ないほうがいいぜ、というようなことを考えているのだ。勤務時間は午後2時までだった。午後9時集合で送別会だった。寝ておこう、と思った。備えとしてだ。集合して、移動して、乾杯の音頭とともに杯を重ねあう。ケーキを戴いてしまった。驚いた。嬉しかった。最近の勤務状況を聞いていて、なんか楽しそうじゃないなあ、と少し落胆してしまった。以前から私は、楽しくない仕事よりは楽しい仕事のほうがいいはずだ、と考えている。なぜなら、楽しみながら働く、ということと、手を抜いて働く、ということは、決して相互排除的な状態ではないからだ。楽しみながら真剣に働く、という道があるはずだ、と信じているのである。だから、その道をいつか自分なりに舗装してみせて、きちんと『俺の道』にしてみせよう、というような野望を抱えていたりもする。のだけど、実際のところその道はとても険しくて、いまだに舗装を終えることなどできていない。だから、彼らには結局『その粗悪な模造品を見せてあげること』くらいしかできなかったな、と思っている。というか『粗悪な模造品を見せてあげることができた』と言えるならば、まだマシだったのだろうな、とすら思う。実際には、似ても似つかない醜いガラクタを見せつけただけだった、かもしれないからだ。どちらにせよ、私が理想的な状態だと信ずる『楽しみながら真剣に働くことができる環境』を彼らにプレゼントすることはかなわなかった。駄目だなあ、と思う。もっと頑張れよ、と思う。が、愚痴ばっかり考えていてもしゃあねえか、と、帰り際には考えていた。送別会を開いてもらったことに対する恩は、いつか『理想とする道をきちんと提示できるような強さ』を持つことで返さなければなるまい、というようなことを考えていたのだった。ホントもっと強くなりたいなあ、と思う。大切に思えるものを大切にするために、だ。