世界は称賛に値する

日記を書きます

罪悪感

 送別会を終えて始発で帰ってきた。睡眠をとろう、と考える。就寝準備。不意に、やはり罪悪感を感じているようだな、と自覚してしまった。送別会におけるほかの参加者たちには翌日の仕事があったからだろう。そして、私だけが休み――つまり、私だけが眠れて楽をできる、という状況だったからだろう。自分が楽をしていて他人が苦労している、という状態がわりと嫌いだ。うまくない、と思ってしまうからだ。言い換えれば、オマエならもっと理想的な状況を構築することができるだろう、というような苛立ちを感じてしまうのだ。なぜか、と考える。賢くなりたい、という欲求があるからだろうな、と思う。そして、欲求に従って『賢さの獲得』を人生の目標に据えているからだろうな、と思う。つまり、その目標があるから、自分が楽をしていて他人が苦労している、という状況に不快を感じてしまうのだ。なぜなら、自分が楽をしていて他人が苦労している、なんていうつまらない状況が、賢い人間が展開させるべき状況だとは思えないからだ。賢い人間ならばもっとうまく展開させられるだろ、とか思ってしまうわけである。要するに、自分が楽をしていて他人が苦労している、なんていう無様な状況に身を置いていると、その無様を改善できない自分の無能を自覚させられてしまって気分が悪い、という話だ。そして、無能なせいで余計な迷惑をかけてしまったな、と認識しているから、ちょっとした罪悪感を感じてしまっているわけだった。昼頃になって目を覚ます。それじゃあ『おいでよ どうぶつの森』を買いに行こうかな、と思った。出かける。購入後、勤務先のきつそうな状態を確認してしまった。ならば出勤しよう、と決めた。帰宅して準備。しばらく勤務した。