世界は称賛に値する

日記を書きます

信じる、ということ

 信じるに値しないものを信じる。それがつまりは信じるということなのではないか、と最近は考えている。根拠などなく、というかむしろそれは認識の外にあるがゆえに、根拠を求めることすらできず、それでも、暫定的に真だと認め、信念の前提とすることで、理想的な人生を構築することができる、と感じられるような命題を、覚悟と諦観を持って引き受けること。それがきっと『信じる』ということなのではないか、というようなことを考えているのだった。もともとは、信じる、という行為と、信じている、という状態の違いについて考えていたようだった。信念、という言葉にブレを感じていたからだろう。