世界は称賛に値する

日記を書きます

好きなら許せる、か

 売場での作業はわりと得意だ、と認識している。売場で作業するのがわりと好きだ、と思えているのはそのおかげなんだろうな、と想像する。得意なことをしているのはわりと楽しいからだ。おそらく、おのれの価値を実感できる、というような観点で快感じみたものを感じているのだろう、と思う。午後2時出勤。少しだけ遅刻してしまった。到着してすぐに、わりと混んでるから手伝ってやってくれ、と頼まれる。計算する。行わなければならないこと、を想起する。時間配分を考える。問題ないか、と結論できた。ので、かなり働く。手伝うのはひさしぶりだった。最近は必要性が感じられなかったからだ。つまり機会がなかったのである。楽しかった、と言える。勤務後ミヤ氏から連絡。飲み屋で食事を取っているらしかった。フミ嬢とアサ嬢が同席。なぜかシャンディーガフを注文してしまった。話を聞く。しかしコメントしづらい話だなあ、と思った。し、言った。でも無論聞いていた。話を聞きながら、もしかしたら私が『意志が強く信念に従い決意した目標に向かってまっすぐ向かう人間』を好むのは、相手するのが簡単だから、なのかもしれないな、なんて考えてしまった。二律背反を曖昧なまま抱えて悩んでいる人と話すのは難しいからだ。自分との『絡みやすさ』を基準に人間の好みを決めているのだとしたらそんなのは嫌だなあ、と思ってしまった。閉店まで飲んで、女性陣を家まで送る。尊敬できる相手と切磋琢磨するように生きていけるならそれが理想だよな、と考える私にとっては、少し微妙な話だったかな、と思う。恋は盲目、というやつには溺れないようにしよう、と今は強く意識しているからだ。けど、でも、実際誰かに惚れてしまったらやっぱり欠点を看過しようとしてしまったりするのかな、なんて想像したりもする。わかんないよなあ、と思う。けれど、できることならちゃんと相手のことを見ていきたいな、と考えるのだった。