世界は称賛に値する

日記を書きます

足場を固めたせいで行けなくなったところ

 輝かしい人生を送ってみせるために、とか、格好良いと思える選択肢を選び続ける、とか、高みを目指せ、とか、深慮し続けることで『基礎となる信念を確定させること』ができたように思っている。けれど、それによって消滅した選択肢もあったのだろうな、と思う。方法を絞り込んでしまったことで自由を失ってしまったのではないか、と、ふと想像してしまったのだった。こだわりはフットワークを鈍らせるからだ。信念という足枷を無視できる人格も育てておかないと駄目かな、という懸念を感じてしまったのである。