世界は称賛に値する

日記を書きます

まずは救いを撥ねつけて

 救済を見せてくれる言葉なんて叩き潰してしまえ、と考える。無論強調表現だ。人間はおおむね自信がないから、それでいいんだよ、と認められることに弱い。そのせいで、そういう『救済を見せてくれる言葉』を無条件に受け入れてしまいやすいのだ、と思う。たぶん危険だよな、と考える。検閲が甘くなってしまうからだ。だから、耳障りのいい言葉なんてばしっと撥ねつけてやればいいんだ、なんて言いたくなるのだった。撥ね付けて冷静になれたのならば、もう一度その言葉を拾い上げて丁寧に扱ってやればいいのだ、と考える。畜生俺に救いを与えようとするな、みたいなところか。無茶な思考かもだけど。