優しさの定義

 愛なんてものは結局のところリアクション的なものなのかもしれないな、なんてことを考えていた。愛情を与えてくれた人に愛情を向けるのは比較的容易だ、という自分の精神が持つ傾向を見つめていると、そんなことを考えてしまうのだった。そして、もしも愛情がリアクション的なものだと考えるのであれば、私は今までこの世界から、相当の愛を貰い受けることができていたんだろう、と考える。かなり世界を愛している。かなり世界を愛せている。という自覚を感じることができているからだ。午後2時出勤。到着してすぐに行ったのは、レジでの接客作業だった。次いで、面接を行った。最後に、数名の新人指導を行った。わりと忙しかった、と言っていいだろう。効率良く動くためにはどうすればいいか、を考えていた。混乱した。困惑した。うまく動けた、とは思わない。効率的ではなかった、と落胆している。ただ、ひさしぶりに感じることのできた感覚だったな、とは思う。最近の暇な状況と比べるならよほど楽しかった。効率的な動きを追求する系統の思考が相変わらず好きなんだな、と改めて自覚したりしていた。今日は珍しく『人に親切にすること』を心掛けていた。考えさせられる機会があったからだ。私の考える『人に親切にすること』の定義は、相手に『幸せという感情を感じさせる』ことだ。いわゆる『自分が親切だと考えることを行うこと』は私の言う『親切』には相当しない。ゆえに、こんなに親切にしてやってるのになんで文句言うんだよ、という言葉は、私の『親切』からは定義上発生しない。定義上発生させようがない。それは『親切』ではないからだ。かつては理屈でそう考えていた。意識してそう行動していた。が、今はわりと人格に染み付いたかな、と思う。意識せずに動けるようになった、と思う。無論、幸せを感じさせることができているのかどうか、なんてことは、手の届かないところの領域の話だ。信じて、覚悟を決めて、責任を持って、挑むしかない。人間にできることなんてそんなことくらいだ。