君に間違いがある、から、気づいた俺は偉い

 相手に間違いや欠点があること、は、相手より自分のほうが偉い、ことの根拠になどならないのではないか、と考えていた。つまり、相手の欠陥の存在が偉ぶることを許可したりはしないだろう、ということを考えていたのだった。相手に欠陥があることが偉ぶることの免罪符にはなったりはしないだろう、ということを考えていたのだった。他人の価値を貶めることが自分の価値を高めるわけではないはずだからだ。と考えるなら、どうすれば『偉ぶること』が正当化されるのだろうか、なんてことも考えてみた。流れから、相手の価値を貶めるのではない形で自分の価値を高めてみせなければならないのだろう、と結論してみる。が、具体的にどうすればそれを実践していることになるのか、は、かなり微妙なところなんだよな、と思う。価値判断を行う者の位置や視野が可変だからだ。