知識を蓄える価値

 たとえば命題『AはBである』を知識として備えているとして。その知識が役に立つのは決して『A』と『B』に触れたときだけではない。命題『AはBである』を知識として備えているのであれば、そう判断するための思考構造もまた備えている、ということだからだ。ゆえに、もしも命題『AはBである』が持つ構造に近似した命題が現れれば、この知識を応用的に役立てることができるはずだろう、と考える。むしろ人間の思考というのはそういうものではないか、とすら思う。無関係に見えながら実は関係があるものを見つける、という状態が思考というものの見せる真骨頂なのではないか、と私は考えているようだ。知識というのはその奥に秘められた『型』を学ぶべきものであって、表面的な姿だけで重要性を判断しても意味がないのではないか、ということを考えていたのだった。