大学の話をしましょうか 最高学府のデバイスとポテンシャル(森博嗣)P.170

大学の話をしましょうか―最高学府のデバイスとポテンシャル (中公新書ラクレ)

大学の話をしましょうか―最高学府のデバイスとポテンシャル (中公新書ラクレ)

《80点》

 大学は基本的に研究を行うところです。そこに、学びにくる学生たちがいる。研究する人の間近で、学問とは何なのか、学ぶということにはどんな楽しみがあるのか、を知る場所なのです。
 高校生までの子たちは、学問が楽しいとは絶対に考えていません。また、大学を就職するための通過ポイントだと考えている人にも、学問の楽しさは発見できないでしょう。別に全員が発見しなくても良いと思います。ただ、そういう機会があった、というだけでも、将来の布石となるはずです。
 大学のときは全然勉強をしなくても、三十代、四十代になったとき、ああ、あのとき勉強をしていたら良かったな、今からでもできるかしら、と考えられる、それだけでも、大学の価値はあると思います。大学に行っていなければ、それこそ、学問なんて雲の上のもの、まったく自分には無縁のものだと思い込んでしまうでしょうね。

 したがって、大学は、学問をしたい人に学問をする環境をいつでも提供できる、ということが使命です。学問をするのは、何のためでもありません。個人個人が楽しむ、ということなのです。極端な話、つまりは趣味、レクリエーションだと認識しても良いでしょう。そこで直接お金が稼げる、商売ができる、というものではないし、知らなくても良いものだし、生きていく上でどうしても必要だというものでもないのです。ただ、学ぶことは楽しい、それを知ることができる、というだけなのです。でも、それこそが、豊かであることだと僕は思います。
 たとえば、学問の楽しさをより多くの人が知れば、それは必ず平和につながるでしょう。物理学や数学に打ち込んでいれば、国境や人種、宗教などの争いが、いかに馬鹿げているか、自分たちはそんなことには関わりたくない、と考えるようになるでしょう。