世界は称賛に値する

日記を書きます

義務と権利

 義務と権利という概念を最初は無視してしまうべきなのかもしれないな、なんてことを考えていた。そのあたりを考え出すと思考が引っかかりやすくなる、という傾向に気がついたからだ。義務や権利を考慮してしまうと問題が複雑になってしまってすぐに混線してしまうよなあ、なんて考えていたわけである。要するに、義務と権利についてはもっと思考が進んでから考えればいいのではないか、と考えてみたわけだ。義務と権利についてはもっと思考を進めてから考えればいいんじゃないか、なんてことを考えることができたのは、義務と権利というものを、結局のところ『心をコントロールするための装飾に過ぎない』と考えていたからなのだろう、と思う。そして、私はおそらく、性格、とか、心、といった言葉にも、同じようなものだ、という感触を感じているのだと思う。そういった言葉を利用することで人間は自分の心をうまく説得することができる――私たちはそういう文化を築いてきたのだ。なんて風に解釈している気配を感じるのだった。