世界は称賛に値する

日記を書きます

間違いを認めるのが怖いわけではなく

 思いつく。思いついたのは『自分は間違っていると認識するのはツライ、という話ではないんだよな』ということだった。自分は間違っている、という認識もまた、一つの『自己正当化』だと思うからだ。自分は間違っている、という認識の裏には、改善しよう、という意識があるように思える。そして、改善しようと思っている自分は正しい、という認識もまたあるように思える。たぶんそういう自己正当化が潜んでいるのだ、ということを考えていたのだった。てことはそれもまた『ツラさから逃げる手段』なのか、と言われたら、そうなんじゃないかな、と答えてしまいそうだ、と思う。厳密に考えていくと、自己正当化によってツラさから逃れる、という構造から逃れる術はないのではないか、とも感じる。最終的には、自覚してるかしてないかの問題、になってしまうのかもしれない。