正当化したがる

 弱点や欠陥を指摘されたときに、じゃあオマエはどうなんだよ、とか言ってしまう。のは、人間に『自己正当化しようとする傾向』があるからなのだろうな、と考えていた。続けて私が考えてしまったのは、なぜ人はおのれを正当化しようとするのだろうか、ということだった。考えてしまった結果、正当化しないままおのれの弱点や欠陥を認識し続けるのはツライからなのではないか、と思いついた。つまり、人間はツラさから逃げるためにおのれを正当化しようとするのではないだろうか、と考えてみたわけだ。と同時に、私はつまり、じゃあオマエはどうなんだよ、という台詞で人は自分を正当化できる、と考えているのだな、ということにも気がついた。ゆえに、次に考えてしまったのは、なぜその台詞で自己正当化を図ることができるのか――なぜ私はそう認識しているのだろうか、ということだった。考える。考えて、人間には『下等な者の判断は軽視してかまわない』という信仰があるようだ、ということに気がついた。じゃあオマエはどうなんだよ、という台詞は、そういった信仰を利用した台詞なのではないか、と考えたからだった。オマエはどうなんだよ、という台詞にはおそらく、相手を『下等な者だ』と言い聞かせ、錯覚させる効果がある。煎じ詰めれば、オマエだって駄目(下等)な人間だろ、と批難するための言葉だからだ。オマエはどうなんだよ、という台詞によって、相手を『下等な者』だと錯覚させることができる。のであれば、オマエはどうなんだよ、という台詞によって、指摘のあった弱点や欠陥を『軽視してかまわないもの』に変換させることもできるはずだ、と思う。下等な者の判断は軽視してかまわない、という信仰がそれを促すからだ。結果、指摘された弱点や欠陥はどうでもよくなり、痛みから逃れることができる。ツラさから逃げることができる。それって弱さだよな、と思った。気分が楽なだけで輝かしい人生には繋がりそうもないな、と感じてしまったからだ。ゆえに、排除すべき傾向だな、と考える。