一つ目の飲み会

 批難や悪罵では人は変えられないようだ、と認識している。そして、おそらく私は、その理屈をかなり重視し信奉している。経験則だ。つまり、人生においてそう解釈できる経験が多かった、ということだ。しかし無論、経験則でしかない、とも言える。それは結局のところ、決して真理ではない、ということを意味する。真理ではないとはどういうことか。例外がありうる、ということだ。悪罵や批難で人が変えられることだってある、ということだ。よって、経験則を真理のように掲げてしまうなんて愚行の極みだし、自分自身がそれを信じこんでしまうなんて論外だ、と考えている。仕事は休み。目を覚ます。携帯電話の着信音に気がついた。送別会の誘いだった。送別会があることは知っていた。けれど、誘われるとは思っていなかった。あまり親しい間柄ではなかったからだ。そのこともあって、積極的に参加するつもりはなかった。場所を確保している、と聞いた。から、開始までは付き合うよ、というような状況だった。マツ嬢に会うのはひさしぶりだった。ひさしぶりに会えて嬉しかった、と忌憚なく言える。彼女には感謝しているからだ。大切な人間の一人だ、と言える存在だからだ。ほかにはイク氏とノブ氏が集合していた。ノブ氏の送別会だった。語る。結局逃げてるだけなんじゃないのか、とか、きちんと考えたら手抜きなんじゃないのか、とか、モチベーションを自己生成できる精神くらい自分の手で作り上げろよな、とか、そんなようなことを語っていた。楽しかった。しかし、達成感は薄かった。わかりやすく語ることができた、とは思えないからだ。もっと効率的な言動が存在したのではないか、と感じているからだ。この辺本当に未熟だよな、と思う。