世界は称賛に値する

日記を書きます

約束のつもり

 知識は『広く浅く』とか『狭く深く』とか表現されがちだ。が、それは比喩だ。比喩でしかない。比喩は比喩であることを忘れられてはならない、と考える。実際問題としてなら、この知識は広くて浅い知識だ、とか、この知識は狭くて深い知識だ、というようなものはない、ということだ。厳密に言うなら『そう判断できるような傾向』は存在するのだと思う。が、幻想を退けるためにはそれくらい大袈裟に考えておいたほうがいいんじゃないか、と思う。休み。週末に休みを貰うのはひさしぶりだ。前に友人とそのことを話していた。そして、じゃ遠出しようぜ、という話もしていた。起床後、連絡をとってミヤ氏と合流する。そのほかの友人らとは連絡が取れなかった。寝ていたようだ。連絡が取れないと遠出できないよな、なんて話をしながら、車で右往左往しつつ時間を潰していた。頻繁に電話をかける。連絡が取れた頃には時計は午後四時前を示していた。どこに行こう、と相談する。ららぽーと、に決まる。特に目的があったわけではなかった。とりあえず出かけようぜ、という雰囲気だった。おおまかに見てまわった。トイザらスで時間を消費。雨が降り始めていた。ラーメンを食べる。チャーシューが物凄く美味しかった。美味、という感覚に対して、いまだ納得いかないものを感じているんだな、ということを再認識してしまった。評判のラーメン屋、で食事したりすると、いつも思うのだ。場末のラーメン屋とは確かに違う味だ。が、あちらよりもこちらのほうが優れている、と言うことがなぜできるのだろうか――と。味を比較する基準を持ったことがないせいかな、と考える。