世界は称賛に値する

日記を書きます

最後の一歩に近づく一歩

 記憶力が悪いのかな、とはたまに考える。昔の自分について考えていると『思い出せないこと』が多いような気がするからだ。特に、思考や感覚に関する記憶が不明瞭になっているんじゃないか、と感じる。昔の俺は馬鹿だったな、と考える場面なんかでそのことを強く自覚する。できるだけきちんと思考しよう、と心掛けているから、そういった思考の際には、本当にそんな馬鹿だったかな、という『検証のための問いかけ』も同時に行うようにしている。のだけど、そう問いかけてみると、あんまり思い出せない、ということに改めて気づかされてしまうのだ。昔の思考や感覚に関する記憶がなぜか曖昧になっているなあ、と感じてしまうのである。何があったか、は憶えている、けれど、何を感じていたか、は憶えていない、というわけだ。人格が変化したからだろうか。変化して、かつてのおのれの思考や感覚が『異質な存在』になってしまったから、共感できなくなって、明瞭に思い出せなくなってしまったのだろうか、ありえる話だな、と思う。そして、もしもそうだとしたら、昔の俺が馬鹿だった、というのは間違いないところになってしまうんだろうな、なんてことを考えていた、午前9時出勤。最終日の前日。約2時間ほど残業してしまった。特に必要ない残業だった、と考える。情に流されたようだ。特別何をした、ということもなかった。会うのが最後になる人には別れを告げておいた。寂寥を覚える。