真実の愛があることと真実の愛があると思えること

 実際に『それ』が存在するかどうか、ということは置いておいて、ただ『それに見えるもの』が存在するかどうか、が重視されるケースがあるんだよな、というようなことを少しばかり考えていた。最後まで突き通された嘘は(観察者にとっては)真実と等価でしかない、という理論を応用することで、その『見えるもの重視の世界観』を支えることもできるだろう、と考える。が、別に支えなくてもかまわないんだろうけどね、とも思う。真実の愛、に代表される『存在が曖昧な概念』について考えていたのだった。たとえ『真実の愛』などというものの存在を信じていなくてもこれが『真実の愛だ』と判断できてしまう瞬間があれば人間はわりと喜べるものだよな、ということについての思考だった。突き詰めればそれは「信じてる」ってことなんじゃないのか、という質問は、きっと的確だ。