世界は称賛に値する

日記を書きます

対ウイークポイント

 別れを告げて、残念そうにしてもらえるのは、嬉しい。その程度の価値は感じてくれていたらしい、と判断できることに喜びを感じているのだろう。が、同時に、明確な不満も覚えてしまう。その嬉しさはつまり、自分自身の価値が『他者からの称賛』によって支えられていた証拠、でもあるからだ。全面的に称賛できる状態ではないな、と考える。ゆえに以前から、消滅させられないか、という方向で思考を進めてもいた。が、今日ふと、もしかしたらこれはもう消滅させられないものなのかもしれないな、と考えてしまった。消滅させられる気配が微塵も感じられないからだ。消滅させようと試みるのは諦めるべきかな、と考えたのだった。しかしそれは、もうどうでもいいじゃん、というような、投げやりな意味での『諦め』ではなかった。消滅させることができないのであれば、消滅は無理だ、と判断して、コントロールする方向へとシフトすればいい話だからだ。方向転換のために現状認識を変えよう、という意味での『諦め』だった。無くせるものは無くす。無くせないものは律する。弱点と戦うときはそういう理念を掲げて挑むことにしている。