世界は称賛に値する

日記を書きます

問題がありそう、だけでも

 単に栄養不足なのかもしれないなあ、と考える。脳はわりと栄養を喰う、という話を聞いたことがあるからだろう。夕食のためにベーコンを買いに行き、それを使ってバター炒めを調理した。面倒だったので材料をあまり使わないで済む料理を考えたのだ。非常に単調な味わいだった。料理はなぜあんなにいろいろな食材を組み合わせて作られるのだろうか、という疑問に対する答えを得たように思う。料理にとって複数の味わいを同時に感じさせることは非常に重要である、ということを改めて認識させられたわけだ。深夜を迎えて、ちょっと飲もうぜ、という誘いを受ける。翌朝は午前7時起床予定だったから、飲みに行くと少しつらいのは確かだよな、と考える。しかし最終的には、誘いを受けよう、と決断してしまった。眠くない翌日の獲得、よりも優先すべき状況があるようだ、と判断できたからだった。言うならばそれは、もしかしたらアイツへこんでんじゃねーの、という状況だった。確実性は薄かった。が、確実性だけを考えて行動を選択していたら人を幸せにすることはできない、と私は考えている。無論それが時に、おせっかいになりうることも、大きなお世話になりうることも、傲慢にさえなりうることも、きちんと認識しているし、覚悟もしているつもりだ。けれど、そうならずに済むこともあるはずだ、とも思っているわけだ。慎重に思考し行動すれば、その機微を掴むことが、多少はできるのではないか、と信じているのだけど、もしかしたらひどく甘い見解なのかもしれないな、と思う。