世界は称賛に値する

日記を書きます

振り子が止まる日

 人間は自分に対して嘘をつくことができる、とするならば、つまり人間は原理的に自分を信用しきることができない、ということになる。そのことに対抗するために、暫定的に信用したフリをしておく、という策が設けられているんじゃないかな、なんて、愚にもつかぬことを考える。同時に、人間は自分に対して嘘をつくことができるのか、も、考えるに値する問題だよな、と思う。比較的否定できそうだからだ。人間は物事を事後になって解釈し直すことができる、あたりが鍵なのではないかと考えている。いつも同様午後2時出勤。でもって出勤してすぐに閉店までの勤務が決まる。予測されるトラブルに対応するためだった。面倒だな、と多少思ったが、不満というほどの感情ではなかったと思う。私はやはり残業に対する嫌悪感をあまり抱いていないようだ、と自覚する。ふと気づけばいつの間にか、精神が冷静な表情を見せるようになっていた。昨日まで抱えていた動揺を考えると、あれはなんだったんだ、と思ってしまうほどの静けさだった。心の動きなんて結局は振り子みたいなもんなんだよな、と想像する。土曜日の飲み会で、心の振り子を揺さぶられて、正直、動揺し、落ち着かなくなっていた。けれど振り子は永遠に揺れ動いたりはしない。心の振り子もずっと動揺を続けたりしない。いつか落ち着き静かになる。それがつまりは今日だったのだろう。こういうのもまあおもしろいかな、と思う。閉店後タクシーで帰宅。車の匂いが苦手なので、チョコレートを食べながら帰ってしまった。