世界は称賛に値する

日記を書きます

いろいろなところから学習している

 出勤後、昨夜来店されたヤクザの話を聞かされる。という文章を受身で書いたのは、それが好意的な状況ではなかったからだろう。受動表現によって『責任は私にはない』というニュアンスを醸し出しているわけだ。人間はたまにこういうことをやる。文章はたまにこういうことをする。ヤクザ客の対応を頻繁に行っていた時期があった。バイト時代の話だ。そのせいで私はヤクザ客の対応を甘く見ている、と不意に自覚した。油断があることに気がついた。改めようと思った。出来事を十把ひとからげにして考えるのは危険だからだ。どれほど似た状況であっても、きちんと見つめればすべてはケースバイケース、というのが最近の心掛けなのである。抽象化し理論化するのは、経験をのちの参考にするために行うのであって、経験を回答として妄信するために行うのではない、のだ。というようなことを私は、2ちゃんねるの相談系スレッドで学んだ気がする。以前好きだった。