世界は称賛に値する

日記を書きます

可能性を信じ知性を信じている

 おのれの信仰についてふと考える。私の持つ最も大きな信仰はおそらく『可能性』というものにあるのだと思う。可能性というものを基準にした世界観が人格の最前に存在している、と言ってもいい。要するに、何かを考えるときに、それにはどんな可能性が秘められているか、とか、それからどんな可能性を獲得することができるか、というようなことを比較的多く考えてしまう、ということである。あるいは『可能性』というものに対して驚くほどの価値を感じている、ということでもある。次いで考える。その次に私が信じているものは、おそらく『知性』だ。それはつまり、知性というものを基準に世界を観察することが多い、ということであり、知性に対して驚くほどの価値を感じている、ということである。知性というものを『可能性というものをコントロールするためのツールだ』と認識しているからだろう。私にとって『知性』は『可能性』を自らの手で操るための道具なのである。あるいは、個人で可能性をどうにかするための武器なのである。言い換えれば、知性があれば可能性を利用することができる、という認識があるわけだ。